夕方早めにアデレードに到着した。街外れのキャラバンパークにテントを張り、荷物を降ろす。身軽になったオートバイで街に出て、とりあえず夕食を食べることにした。マクドナルドを見つけ、あまり探すのは面倒なので、ハンバーガーをEat inで食べることにする。ここではお持ち帰りはTake away、店内お召し上がりはEat inだ。100%オレンジジュースが旨いので、必ずハンバーガーと一緒に注文することにしている。日本と違って、ミカンではなくオレンジが100%だから旨いのだろうと思う。
問題はキャラバンパークに戻る時に起こった。オートバイをいくら走らせても、キャラバンパークがない。来た道を戻るが、どうしても辿りつけない。どうも、道が変だ。すでに日は沈み、太陽を目安に方角を知ることも出来ず、アデレードの街を走りまわる。
道に迷ったのだ。来た道を戻っているつもりが、どこか間違っているのだろう。そろそろこの辺りだろうというところまでは来るのだが、気付くと全く見覚えのない風景になってしまう。そして再び近づく。しかし、また離れていく。完全にこの繰り返しに陥ってしまった。同じ所を何度も周っているのが自分でもわかった。そうして、それほど大きくないアデレードの街を何周したのだろうか。
キャラバンパークは、いつのまにか目の前にあった。辿り着いた。オートバイの距離計は、迷いながら100kmも走ったことを教えてくれている。時間にして何時間経ったのだろうか。しかし、もうそれを考える気力も残っていない。これほど迷うとは思ってもみなかった。疲れた。
(3,760km / Adelaide Caravan Park, Adelaide / August 12, 1988)
スプレー式のチェーンオイルを、オートバイの後輪を駆動するドライブチェーンに吹き付ける。これが毎朝の日課になっていた。チェーンの磨耗は伸びとして表われる。そして、後輪を後方に移動させるようアジャスタで調整をしなければばらない。しかし、少し前からどうもその伸びがやけに早いような気がしていた。この調子だと、それほど走らないうちに、アジャスタが効かないほどに伸びきってしまいそうだ。
ふつう、オートバイにはシールチェーンが使われていることが多い。シールチェーンは、可動部にグリスを封入し、それが流れ出さないように各可動部をゴム製のO(オー)リングで密閉してある。伸びを抑え耐久性も高いものだ。しかし、このDR250Sのチェーンが、そうでなくノーマルチェーンだということに気付いた。これが伸びの早い原因だった。思ってもいない事であり、今まで気付かなかった。アデレードを出る前にショップを見つけすぐに交換する。大同工業製のシールチェーン。日本製だ。以前にも同じ物を使ったことがあり、耐久性も十分だろう。これで安心だ。
アデレードを出ると、急に風景が変わってきた。草木がなくなり、荒涼とした雰囲気になってくる。Port Augustaという町でテントを張ることにした。
シドニーから4000km。ほぼ海沿いをここまで走ってきた。ここからはスチュアートハイウェイを内陸部に進むことになる。まっすぐ北へ、ダーウィンを目指すのだ。すでに気温は高く、Tシャツ一枚で過ごせることに驚いた。ほんの2、3日前まであれほど寒くて震えていたことが、まるで嘘のようだ。
(4,099km / Shorline Caravan Park, Port Augusta / August 13, 1988)
風景が昨日までとは一変した。今までに経験したことのない広さ。大海原を走っているような気分。実感が湧いてこないまま、大平原の中を一直線に突き進む。スチュアートハイウェイを北へ。
ここから先はロードハウスが100〜300km間隔にあるだけだ。それ以外には何もない。ガソリン、食料、そして水の補給もロードハウス以外では出来ない。シドニーで手に入れておいた10L入りの予備燃料タンクにもガソリンを満たした。自然と気持ちが引き締まる。
大平原の中に、巨大な塩湖が姿を現した。その大きさは、おそらく縦横ともに数十kmはあるだろう。湖水は干上がり、その広大な真っ白い湖面は塩の結晶である。目に入る全てが、自分にとって初めて見る光景。ここは想像を絶する場所だ。嬉しさと感動と興奮が込み上げてくる。
そんな塩湖をいくつか見ながら、Glendamboというロードハウスに辿り着いた。その建物の裏手のキャンプ用スペースにテントを張る。
太陽が地平線にゆっくりと沈んでいった。
(4,407km / Caravan Park, Glendambo / August 14, 1988)
日中の気温はなんと30度を超えた。暑い。北へ行くほどに暑くなってくる。乾燥した空気。吹きつける砂埃。砂漠の雰囲気だ。
オパールの採掘で有名なCoober Pedyの町に到着し、ここで泊まることにする。町のあちこちに、採掘のために掘られた無数の穴と、掘り返した土砂の山。暑さをしのぐため、ここでは住居さえも掘られた地面の下にある。
自分のテントは、残念ながら暑い地上に張ることにした。
(4,664km / Caravan Park, Coober Pedy / August 15, 1988)
大平原の中、スチュアートハイウェイを走る。制限速度は110km。しかし、100kmほどに抑えて走らないと極端に燃費が落ち、エンジンオイルの減りも早くなることがわかった。ここでは燃料とオイルは大切にしなければならない。単気筒4ストローク250ccのこのオートバイでは仕方ないことだろう。その代わり、この車体の軽さが有利なのだから。
ハイウェイを走っていると、橋を渡ることがある。そこには川があるわけだが、どの川にも水が一滴も見当たらない。砂で埋め尽くされた川。川幅は数mから数十mほどまでいろいろある。たぶん雨期になると水が流れるのだろう。そのせいか、川の周辺だけ、まばらではあるが木々が茂っている。
木々の枝にはピンク色のオウムたちが群がるようにとまっている。なんという種類かわからないが、オウムの一種だろう。オートバイを停め、彼らをよく見ようと近づいてみる。すると、オウムたちはいっせいに鳴き始めた。木々の上からこちらを見下ろし、ギャーギャーとすごい勢いだ。しばらくしても鳴き止む気配がない。あまりにしつこく鳴き続けるので、オートバイをスタートさせることにした。それは、おまえの来る場所ではないという、彼らの警告のようにも聞こえた。
路上には体長が40cmほどもあるトカゲをよく見かける。ハイウェイの真ん中で身動きもせずに、昆虫などの餌が近づいてくるのを待っているのだろうか。可哀想なことに、そのまま車に轢かれ、潰れて干からびてしまった彼らの死骸もよく見かけた。
たまにすれ違う対向車は、挨拶代りに手を振るドライバーがそのフロントウインドウ越しに見えた瞬間、後方にすっ飛ぶように走り去って行く。
Marlaというロードハウスまで来た。アリススプリングスまであと500kmほどだ。この調子なら再会の約束は果たせそうだ。しかし、この暑さには参る。これでも冬なのだろうか。
(4,918km / Caravan Park, Marla / August 16, 1988)